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宮城の県(あがた) 登米郡(とめごおり)
錦織村 北上の
流れに沿える よき郷に
わが学園は もとを据う
日夜にやまず 溶溶と
大海さして 流れ行く
水ぞわれらの 教えなる
勉め励まん たゆみなく
生いたち行かん そのあした
人類愛と 祖国愛
高き理想を胸に充(し)て
世界平和に つとむべし
ああ あらたなる 光明の
照らすわが世ぞ 豊かなる
希望に満ちて一斉に
奮い進まん 勇ましく
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錦織小学校の校歌ができたのは、今から60年前のことです。(1946年8月15日)
当時、錦織地区は、前の「校舎のつぶやき」にあるように、先人たちが大変な苦労をして学校を建てました。
教育大事の地域です。校歌を作ろうという話になったのも当然うなずけます。
しかし、「校歌」を作るのにも、大変なお金がかかります。錦織地区の人たち皆、頭をすり寄せて考えました。
丁度そのころ、北上川を挟んだ真向かいの町に、同じように「校歌」を作りたいと考えている人々がいることを知りました。
そこで、同じ志を持つもの同士、協力して「校歌」を作ってくれる先生を捜すことにしたのです。
方々手を尽くし、情報をかき集めていたその時です。
”仙台の方に校歌を作ってくれる偉い先生方がいるそうだ!”
”誰に頼みにいぐのや?”
”あの土井晩翠先生だ!作曲は海鉾義美先生という宮城県の学校の校歌を沢山作曲している偉い先生だぞ”
”その先生方にお願いしてみてはどうだろうか?”
”んでも、偉い先生だべ?引き受けてくれるかな?それにただではねえべ。なんぼぐらいかかるかな?”
”聞いでみるだけ聞いでみるべ”
”んだ、だめでもともとだ”
代表者を決め、仙台市へ赴きました。
「おらほの学校の校歌を作ってけらいん。どうかお願いします・・・」と・・・。
代表の人が一生懸命お願いをしました。すると、
「いいでしょう。」と、引き受けてくれました。
何しろ宮城県でも後ろから3番目の貧しい農村です。地域の方から沢山寄付をいただきました。足りない分は米や野菜で支払いました。
このような苦労があり、今の「錦織小学校校歌」が歌い継がれています。
当時一緒に校歌を作ってもらった学校は、統廃合となりましたが、今でもその時の校歌が歌われているそうです。
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